八王子城址 御主殿の滝 黒い影の武者 [八人の王子]
2011年の記事
御主殿の滝の上は、
堰堤で塞がれ、
溜池掘りに成っていた。
「武蔵名勝図会」草稿 八王子城本丸跡荒廃の絵から推測して、
右の大木の茂っている堰堤も、
浸食されている筈だから、
今から421年前は、
滝の高さも、
今よりも2倍以上、
高かったかも知れない。
「決戦!八王子城」の31ぺ-ジの図に有る、
Dの連絡道が本当に有るのか?
確認したくて、
御霊谷から登り、
御主殿の滝を目指した時、
斜面に足を取られ、
谷に落ちた。
かろうじて茂みがブレ-キ成り、
中腹で体が止まったが、
上にも戻れず、
途方に暮れていた時、
片手で掴むには丁度良い蔦が、
左の肩越しに垂れ下った。
誰か 後ろに居るのかと、
恐る恐る 振り返ったが誰も居なかった。
搦め手道から 大天守を目指した時も、
石仏の写真を撮っている時も、
不思議な事が有った。
Netで見かける八王子城の亡霊は、「黒い影の武者」で、
駐車場の上に有る“山下曲輪”でよく見かけられ、
今でも「八王子城」を守備している様です。
そうすると「黒い影の武者」は、
もしかしたら 山下曲輪を守備していた“近藤助実”かもしれない。
「黒い影の武者」を見かけても失礼の無いよう、
よろしくお願いします。
東京都八王子市
八王子城が鉄の爪で削られない事を切に願います。 [八人の王子]
2009年の記事。
天地人の「愛」と「義」の
「愛」って何だろう?
夫婦愛、家臣達に対する愛、自領の民達への愛であろうか?
別の「意味」が有るのではないだろうか?
八王子城に再び訪れる。
以前にも「 ひまわりの花が咲いていた。」で 記事にしたが、
天正18年(1590年)6月23日 未明
豊臣軍1万5千(5万とも)が総攻撃を仕掛けた。
その時、城主である「北条氏照」は、豊臣軍の来襲に備え精鋭部隊を引き連れ小田原城に在った。
折しも「八王子城」の守備は、老武将に率いれられた侍だけでなく、
強引にも駆り出された領民、
農民 職人 山伏 僧侶達が妻子と共に「八王子城」に籠城することに成る。
その数千人弱。
それまでは、降伏させ開城させる戦略を取っていた豊臣軍は、
殲滅作戦を展開。
北条氏照の正室 比佐が自害、
側室お豊は、若君を抱いて「御主殿の滝」に身を投げる。
城内の妻子達は、「御主殿の滝」の上で次々に自刃し身を投げた。
それにより「城山川」は、三日三晩まっ赤に染まったと伝えられている。
戦死者の3割は 女 子供 だったとか...
↑wikipedia より一部引用
この殲滅作戦の先頭を切ったのが上杉家の家臣では藤田信吉、
「搦め手」から「小宮曲輪」を落したのが「愛」と「義」の直江兼続と云う説が有ります。
未だ、キリスト教の「LOVE」の概念のない時代の「愛」の意味。
兼続の「愛」は、
上杉謙信の「毘沙門天」の眷属神(けんぞくしん)、
その昔、遊女達の信仰にもなった軍神「愛染明王」の「愛」であると云う説がある、
「愛欲」の「愛」である。
仏教で意味する「煩悩」とか「欲望」と云う意味ではないだろうか?
「愛欲」は、人間の本能であり、
「愛欲」を追及する事は、向上心にも繋がり、
その反面人間を破滅に導く力にも成る。
一心に「愛欲」を追及するのでなく、
「愛欲」を断じる事も 戒めとせよ と云うこと。
「愛染明王」の画像を観ると、髪の毛は赤く燃え上がり、三つ目は真っ赤に充血し、
「欲望」に満ち溢れた表情をしている。
八王子城で生け捕りにした 妻子達を、
八王子城で捕った首を、
「小田原城」から見える所にさらした。
「殺るか殺られるかの」戦国時代。
決して「ラブ」&「ピ-ス」で語る事の出来る話では無い。
八王子城が鉄の爪で削られない事を切に願います。
東京都 八王子市
しつこく攻める、悩ませる 「モラルハラスメント」、 被害者が「自分はいやがらせなど受けていない」「悪いのは私だ」 などと思い込むませる。 [お散歩の写真]
自治会の副会長が電話を掛けてきた、
「私の近所の人達は、私に口を聞いてくれない、
あなたは他の人達と違う、私の話相手に成ってくれ!」
ストーキングを仕掛けてきた。
近所の人達が「加害者」、私が「被害者」、
悪意の人間は「被害者」を装う。