要介護4でした。 [神様は乗り越えられる試練しか与えない]
平成21年4月20日
父親の墓前で亡くなられた清水由貴子さんの実妹が姉の死を語った、
「介護うつ お姉ちゃん なんで死んじゃったの?」を読んだ。
私の母は要介護4でした。
交通事故で折れた足の両骨に、
セラミックの人工骨を両骨の内側に差し込み、
つなぎ合わせ、
どうにかこうにか歩いて、
買い物にも出かけていました。
子宮筋腫、心筋梗塞、白内障、
次々に襲って来る病気にも負ける事はありませんでした。
しかし、父が定年に成った頃から、
洗濯機の水かさが5cm高いだとか、
自分が決めた「家事のルール」に、
そうぐわ無ければ、
大きな声で父を叱責していました。
父と私は、母のヒステリ-に付き合いたくなく、
家族全員で食卓を囲む事は無くなり、
孤立した母は、一日中キッチンで独り言を喋っていました。
しだいに、母の痴呆の症状が少しずつ出始め、
鍵を差したまま家に入り、鍵を無くしたと探す、
通販で同じ物ばかり買う、
お風呂の火の消し忘れ、
ガスこん炉のグリルの消し忘れ、
記憶力が急激に落ちて行きました。
父の葬儀での弔休暇の時、
靴下を履かせてやろうと、
母の足首にむくみと体温の異常に気が付きました。
大腸癌でした。
手術には成功しまたが、
母の痴呆症は重度を増て行き、
私が誰か判らなく成りました。
しかし、父が残した、私が小さい頃の「家族の写真」を見せ、
「家族の記憶」は取り戻してくれました。
けれど、母を家に独りにする事は危険であり、
会社には行けず、
介護サ-ビスを受ける事にしました。
しかし、父が残した、私が小さい頃の「家族の写真」を見せ、
「家族の記憶」は取り戻してくれました。
けれど、母を家に独りにする事は危険であり、
会社には行けず、
介護サ-ビスを受ける事にしました。
介護認定の問診を受けた後、
ソーシャルワーカーの方から涙ながら
「あなたが介護で潰されないで下さいね!」と強く言われた。
言い換えれば「母を殺して、あなたも自殺しないで下さいね!」
である事は直ぐに判った。
要介護4でした。
悪い事は一つで終らず、
受継いだばかりの在庫管理の仕事で、
金額で約3千万円以上の商品が倉庫に無い事に気が付き、
上司に報告したところ、
取り合ってくれず、
前任者が責任を被るからデ-タ上消してくれと言われ、
消したら会社を首に成った。
上から下まで口裏が合っていました。
訴訟も考えたが、
介護でお金が掛かる事も予想され、
再就職を最優先させました。
失業期間は6ッ月、
正直、死にたいと思う事も有りましたが、
介護施設で私の名前を呼び続けている母を思えば、
死ぬ訳には行きませんでした。
東京都武蔵野市、三鷹市 井の頭公園
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