「正義」と云う台詞で形容してしまえば、 心は「憎しみと憎悪」に支配されている事に気が付かない。 [Дракон Бог]
獅子が踏みしめている「玉」、
観音様が手の平に持つ「玉」、
龍が握り締めている「玉」が何か?
神社仏閣を参拝している時に思った。
龍と観音様、
光と影、
陰と陽、
この対象的な者の構図は、
何を表わしているのだろうか?
労を惜しまず、
影で支える者がいるから、
「世」が成り立つ、
それだけではないだろう。
「陰」を「龍」で、
恐怖感を憶える程の存在観で画くだろうか?
例えば、
人類を戦火に貶めたい「策動者」は、
「愛と平和」を説く、
「自由」だった事もある。
「イラク兵達は、生まれたばかりの赤ちゃんを入れた保育器が並ぶ部屋を見つけると、
赤ちゃんを一人ずつ取り出し、床に投げました、
冷たい床の上で、赤ちゃんは息を引き取ったのです。」
「クエ-トの少女の涙」が戦争の引き金と成った。
「愛と平和」から反転した「憎しみと憎悪」は強大で、
「正義」と云う台詞で形容してしまえば、
心は「憎しみと憎悪」に支配されている事に気が付かない。
「クエ-トの少女の証言」は捏造だった。
今、改めて見ると「目の芝居」が出来てない事が判る。
神を装った者達は、
光と影、
陰と陽を使い、
対立関係を創作し、
人類を操って来た。
「光と影、陰と陽に惑わされる事なく、平静な心を持ち続けよ。」という霊的伝承の様な気がした。
神社で見る「三つ巴」、
カオスを表現している「三つ巴」も同じ意味だと思う。